反戦映画の代表格「火垂るの墓」。
戦時中の兄妹の悲惨な死を描く映画である。
しかし、しっかり見てみると火垂るの墓は反戦映画ではないということがわかる。
今回のジブリレビューでは、高畑監督のインタビューも踏まえて火垂るの墓という映画について考察する。
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ニートの清太について
あらすじ
親を亡くした14歳の清太と4歳の節子の兄妹が、終戦前後の混乱の中を必死で生き抜こうとするが、悲劇的な死を迎えていく姿を描いた物語。
救いのない胸クソ映画なので、今までしっかり見たことがなかった。
しかし、じっくり見てみると新しい発見があった。
それは「この映画は反戦映画ではない」ということ。
ストーリーの概要
神戸大空襲で母も家も失い、親戚の家に身を寄せる
↓
家の仕事も手伝わずニート生活
↓
叔母から邪魔扱いされる
↓
居心地が悪くなり、家を出て近く防空壕の中で暮らし始める
↓
餓死
ニート生活中の清太に呆れるおばさん
小言を言われるのが嫌で家を飛び出し、子供二人だけの自由な生活を選ぶが、当然立ち行かなくなる。
節子が病気になり、農家のおじさんに家に戻るよう説得されるが、清太は拒否。
結局二人とも死んでしまう。
農家のおじさんに説得される清太
このストーリーでは、清太が死んでしまったのは自業自得であって、戦争のせいではない。
でもなぜか、この映画は曲解されて「戦争の悲惨さを伝える反戦映画」に仕立て上げられてしまっている。
誤解した人達の映画の感想
「火垂るの墓は、人間対人間の争いが兄弟の命をさらっちゃったという話でしょう。」
「いちばん不確かなものは、彼女を殺したいくさを正当化するようなすべての理屈だろう。」
火垂るの墓は反戦映画ではないということ
高畑勲監督の制作意図が「ジブリの教科書」に書かれている。
14歳の清太は、人づきあいのつらさに耐えることができず、そこからはずれて結局妹を死なせ、自分も死んでしまいます。
清太のとったこのような行動は、わずらわしい人間関係をいとう現代の青年や子供たちとどこか似てはいないだろうか。
若い世代の人に、「わずらわしい人間関係はいやだ」なんて言っていないで、ぜひ考えてもらいたいところです。
監督自身も二人が死んでしまったのは清太のせいだと明記している。
そして清太のモチーフは人間関係を煩わしく思う現代の若者だという。
描きたかったのは戦争の悲惨さではなくて、「戦争中なら清太のようなニートは死んでしまうよ」という若者へのメッセージである。
高畑映画は難解だが緻密に作られているので、分析し甲斐があって、解説本を読むのが面白い。
まあ何度も見たい映画ではないけどね。
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つづく

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