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地方の皮膚科医が大学院で学位を取得するまで

 

今回は自分の大学院の時の話。

 

学位(医学博士)の取得法には2つある。

4年の大学院を卒業して取得する課程博士「甲」と、論文だけで取得できる論文博士「乙」である。

 

自分は基礎研究がしてみたかったこともあり、甲号取得を目指して大学院に入学した。

「臨床一本」と宣言する皮膚科医もいるが、もっと忙しいメジャー科でも臨床研究両方している。

皮膚科はメジャー科に比べたら時間の余裕があるのだから、研究くらいしてないと話にならないだろう・・そんな思いもあった。

 

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大学院に入学したが…

 

大学院生にはそれぞれ研究の指導を行ってくれる指導教員がつく。

(まあ指導とは名ばかりで、自分の研究ための雑用をさせるわけではあるが)

自分の指導教員は、次期教授と言われていた実力派の講師A先生になった。

そこで基礎研究に対する好奇心と共に、将来のキャリアに対する期待感も出現する。

【関連】大学で出世するためのキャリアパス

 

ここで実績を残して次期教授の片腕になれば将来は安泰だ。

何の後ろ盾もないイチ大学院生がキャリアの階段を上るためには、上司に引き上げてもらう必要があるのである。

そう考えて日夜実験に励んだ。

 

慣れない基礎研究に悪戦苦闘しながらも、3年生になる頃には少しずつ研究結果が出始める。

さらにA先生の雑用をこなし、自分のポジションを確保することも忘れていなかった。

自分がいなければA先生の仕事が立ち行かなくなるくらいまで食い込めば、存在感を大きくすることができる。

すべては順調・・そう思っていた頃に異変が起こる。

 

色々なトラブルがあってA先生が医局をやめることになってしまったのだ。

 

そこで自分のキャリアプランが完全に崩壊した。

必死に研究をまとめて論文の準備を急いだが、開業準備に入ったA先生はもはや指導をしてくれる時間(興味?)がない。

結局論文が完成しないままA先生は退局され、指導教員不在になってしまったのだった。

 

学位取得まで

 

A先生の研究分野は教授も専門外で、代わりに指導してもらうことも叶わなかった。

それでも色々な人達の手を借り、インパクトファクター3-4程度の雑誌に論文を投稿。なんとか学位だけは取得することができた。

しかしその研究をそれ以上発展させることはできなかった(まあ自分の実力がその程度だったということでもあるんだろうけど)。

 

前回の記事「インパクトファクターを野球に例えて説明する」でみると「四球」レベルのたいしたことない論文だが、苦労したので「10球以上粘って勝ち取った四球」と思いたい。

日本ハムの10年ぶりの日本一に貢献した中島卓也内野手(25)は、投手により多くの球数を投げさせる。今季レギュラーシーズンで10球以上粘った打席は両リーグ最多の29度に達した。

投手泣かせの小技職人 日本ハム・中島卓也

 

A先生がいれば・・と惜しむ気持は一切ないのだが、一つだけ後悔していることがある。

それは自分のキャリアプランを「次期教授の片腕」という人任せのものにしていたこと。

キャリアは自分主体で決めなければならないというのが、自分が得た教訓である。

プランの中に他人を組み込んではいけなかったのだ。

 

たまに自分と同じように人任せなキャリアプランを立てている人を見かけることがあるが、危うく感じてしまう。

例えばSNSなどでよく話題になる「ゆるふわ」も配偶者に大きく依存したキャリアプランである。

 

その後のこと

 

その後紆余曲折があり、結局研究の世界からはドロップアウトしてしまった。

研究に必要なのは能力よりも人脈力だったわけである。

【関連】医者に必要なのはジジ殺しのスキルである

 

でも大切なことを知ることができたし、研究で得たスキルは臨床で役立っているので、無駄ではなかったとは思っている(サンクコストバイアスなのかもしれないが)。

大学院で研究してよかったと思う4つの理由
前回(今の時代の医師に学位が必要なのか考えてみた)、学位は必要性はないがメリットはあると書いた。 バイオ系の博士号を持ったポスドクも在籍していて、彼らから学ぶものも多かったように思う。 今回、自分が研究から何を学んだか、...

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