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インフルエンサーと三島由紀夫の「不道徳教育講座」

 

前回の記事「バチェロレッテと三島由紀夫の不道徳教育講座」では、自分をさらけだすことの是非について書いた。

今回はインフルエンサーについて考えてみたい。

 

ホリエモンやキンコン西野、イケハヤなど、インフルエンサーと呼ばれる人たちがいる。

彼らが発信している内容は有益であることも多く、フォローすることは損にはならないだろう。

(バッシングされることも多いが)

しかしインフルエンサーの熱狂的なファン達を見ると、違和感を覚えてしまう。

 

三島由紀夫の「不道徳教育講座」シリーズ第二弾。

今回は不道徳教育講座からインフルエンサーについて考える。

 

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友人を裏切るべし

 

「不道徳教育講座」は三島由紀夫のエッセイ集。

週刊誌に連載されたエッセイなので、ユーモアあふれる内容になっている。

お硬い文学者というイメージの三島だが、こんなにユーモアセンスがある人だったのかと驚かされる(ブラックユーモアだが)。

とても読みやすいが、ユーモアの中に優れた人間観察力が垣間見られる名著である。

この本の中で三島は「友人を裏切るべし」と説いている。

それはこんな意味なのだという。

 

ある日、それまで尊敬していた友人が、たいしたことなく感じられるようになる。

きのうまで「さすがはあいつだ。洞察力がある」などと感心していたのに、今日はそれを「なんだ。あいつの思想と来たら、シャレた格言にみたいなものの他に何もないじゃないか」と思うようになる。

 

これは友人のレベルを自分が上回ったことを意味する。

三島はこのことを「友人を精神的に裏切る」と表現している。

人間は友人を裏切ったときに成長したと言えるのである。

そのとき君は友人を精神的に裏切ることによって成長したのである。

 

この文章を読んだときに腑に落ちたのを覚えている。

自分にもかつて、発言に感心させられ、その洞察力に一目置いていた友人がいた。

しかしあるとき感じたのは「実はあまりたいしたことを言っていないな」ということ。

尊敬する人間に対して物足りなく感じたときに、確かに成長を実感することができたのだ。

 

長続きしている友情とは主従関係にすぎないのだという。

三島は、自分を大きくしていくためには相手を裏切る必要があるのだと説く。

友人を裏切らないと、家来にされてしまうということが往々にしてある。

大へん永つづきしていた美しい友情などというやつを、よくしらべてみると、一方が主人であり一方が家来であることが多い。

 

我々は常に、尊敬する相手の寝首をかこうと、虎視眈々と狙っている必要があるのだ。

これはインフルエンサーが相手でも同じである。

 

熱狂的なファンの是非

 

ミュージシャンや芸術家などの熱狂的なファンの心理は理解することができる。

凡人には持ち得ないアーティストの才能に対して、多くの人が心酔しファンになるのである。

 

しかしインフルエンサーの価値は彼らの発する有益な情報にある。

彼らに心酔しているだけでは何も得るものはない。

インフルエンサーを精神的に裏切る。つまり「たいしたことないな」と感じられてようやく彼らの情報が自分のものになったと言えるだろう。

熱狂的なファンである限り、インフルエンサーの養分になるだけである。

 

ずっと昔にも同じように考える出来事があった。

自分の大学受験の頃、予備校にカリスマ講師と呼ばれる人たちがいた。

彼らの授業はとても面白く、それまで高校のつまらない授業しか受けたことのなかった自分はカルチャーショックを受けた。

しかし講師を追いかけることに熱中する熱狂的なファンには違和感を抱いていた。。

彼らは授業を受けること自体が目的になっており、成績は悪かった。

 

受験生の目的はあくまでも試験の点数を上げること。

目的のために利用する存在として、距離を置いて接するのがカリスマに対する正しい態度である。

これを教訓としてインフルエンサーに対する態度も考える必要があるだろう。

信者として教祖を崇めるような態度では得られるものはない。

 

まとめ

 

驚くべきことに医学部にも信者体質の人間が存在していた。

国家試験のときは予備校の講師に入れ込み、卒業後は有名指導医を追いかけて全国を転々とする。

そのメンタリティのマズさには、ネガティブな感情を抱いてしまわざるをえない。

 

人間は尊敬する人間を精神的に裏切ることによって成長していく。

インフルエンサーに対しても距離感を大切にして、批判的吟味を忘れないようにしたい。

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