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中島義道の「孤独について」から悲惨な幼少時代を思い出す

 

哲学者中島義道の自伝「孤独について」。

 

彼の子ども時代の悲惨な思い出が綴られている。

早く大人になりたいと願っていた。私は、人生ってなんでこんなに辛いのかなあと思った。

 

この本を読んで自分の幼少期のことを思い出したので、書いてみたい。

 

中島義道の子ども時代

 

中島先生は、小学生のとき、ボールの投げ方を笑われたのをきっかけに、ボールがまったく投げられなくなってしまったそうだ。

小学3年生のある日、転がってきたボールを投げ返すと上級生から「それ、女の投げ方だ」と笑われた。私はそれから、まったくボールが投げられなくなってしまった。

 

その理由は、周りの人間たちが、自分のぶざまな投げ方を観戦しようと集まっているような気がするから。

中島先生は自意識過剰な子供だったようだ。

世界中の人間が、私のぶざまな投げ方を観戦しようとそこに集合しているような気がする。

 

さらに小便をする姿を馬鹿にされたのをきっかけに、トイレにも行けなくなってしまう。

おちんちんを押さえて小便していると、隣の少年が私の格好を真似してはやし立てた。ノイローゼになり、やがてまったくトイレに行けなくなった。

 

学校で小便を耐える毎日。

身体全体をぐっと硬くし、足の爪先に神経を集中し、奥歯を硬くかんで我慢する。それを何度も繰り返すのだ。

 

そして耐えられずに何度も漏らしてしまったとのこと。

うまくゆけば、下校時までもたせることができるのだ。

そうはいってもうまくコントロールできないことがある。私は何度も下校の途中でズボンの中に小便を漏らした。

 

自意識が自分をがんじがらめにしてしまう。

そんな辛い少年時代を送ったそうだ。

私は次第に自分をがんじがらめにし、身動きできなくしていったのだ。

私はこうした悩みを抱え、はち切れそうになって少年時代を過ごしたのだ。それは、本当に独特の意味で辛いものであった。

 

一見、馬鹿馬鹿しいように思えるが、この自意識については自分もよく理解できるのである。

 

私の場合

 

小学校低学年の授業中、

先生の質問に対して、生徒たちが元気よく手を挙げる

…というのはよく見る光景である。

 

しかし、自分は「子供らしく元気に手を挙げて発表」というのが苦手だった。

 

担任は、生徒が積極的に手を挙げるクラスを目指していたのだろう。事あるごとに挙手を強要し、次第に手を挙げないのは自分だけになってしまった。

それが周知の事実となってしまうと、自分が挙手することで注目を集めてしまう。

周りから注目されたくない。

そう考えれば考えるほど手を挙げることができなくなったのである。

 

授業参観は大変な苦痛であった。

担任の質問に全員が手を挙げているにも関わらず、自分だけじっと座っている。

そんな姿を親に見せつけ、親への申し訳なさ、自分の情けなさから、自己嫌悪に陥っていていた。

 

その後、症状はさらに悪化。

学校でしゃべることができなくなってしまったのだ。

 

最初はあまり喋らない子くらいの印象だったと思う。

しかし次第に私が声を出すと、周りの生徒から注目されるようになる。その恐怖からますます声を出すことができない。

 

この症状は「場面緘黙症」と呼ばれるらしい。

家庭ではごく普通に話すことができるのに、幼稚園・保育園や学校などの社会的な場面では声を出したり話したりできない状態が続くことを場面緘黙といいます。

場面緘黙とは

 

このような状態では当然、友達ができるはずがない。

 

特に休み時間が嫌いだった。

元気よく校庭に飛び出し、みんなでドッジボール…などということはできず、

中島先生と同様に、誰にも見つからないように校内をウロウロすることで時間を潰していたのである。

私はぐるぐる30分も校庭の「安全なところ」をあちこち歩き回るのである。

 

また遠足などの行事は大変困る。

数時間の自由時間を、1人きりで黙々と歩き回ることで時間を潰さなければならなかった。

 

こうして一切喋ることもなく、長い長い学生時代を過ごしたのであった。

 

辛い子ども時代を思い出すこと

 

当時、自分はまともな職業につくことはできないだろうと思っていた。

暗い未来に絶望しながら生きていたのを覚えている。

(闇金ウシジマくんを読むと当時の記憶を思い出して辛くなってしまう)

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とはいえ、なんとか現在は奇跡的にまともに(?)仕事をすることができている。

そして、もう何十年も前のことなので、当時の辛さはすっかり忘れて生きていた。

 

しかし中島先生は、その辛さを徹底的に追求して哲学に昇華させたとのこと。

中島先生が哲学者としてやっていけているのは、子供のときの辛さがあったからこそ。

だが考えようによっては、あれもこれも強要されて人生は地獄だと毎日思っていたからこそ、私は人間の醜さ、虚栄心、ろくでもなさを心底理解することができた。

そして私の不幸が私に哲学と出会わせてくれたのだ。

 

そして辛い記憶を何度も思い出し、追及することが重要なのだという。

読者諸賢は、自分の幼年時代、少年時代をとくと反省してみる必要がある。

そして、そこに真性の不幸を見いだしたら、その不幸をどこまでも思い出すこと。気分の悪くなるまで追及すること。

そこに自分の生きる方向が見えてくるはずだ。

 

ハードコアすぎて厳しいが、昔の辛さがあったからこそ、今の自分があるとも言える。

そして、それを哲学にできないまでも、忘れずに言語化しておくことは、意味があるかもしれない。

 

まとめ

 

今回は自分の子ども時代のことを思い出してみた。

中島先生はその後、過去の辛い経験を糧に、社交を絶ち、孤独を突き詰めるという方向に進んだようだ。

私は孤独を選びとった。

ここ数年、孤独を楽しむこと、自分の「孤独のかたち」をつくることに全情熱を傾けている。

 

社交的な仕事は最低限。他人と話すのは事務的な事柄だけ。

大学や学会の仕事は最小限度に減らし、冠婚葬祭はことごとく断っている。

飲むのも、家で独りがいい。

他人と話すのは事務的な事柄だけという日々が続いている。

 

社交の重要性が叫ばれる世の中、こんな生き方もありなのかもしれない。

 

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